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TITLE : ラボラボラボラボラトリ!



家でお仕事ができるように
ラボラトリーを作ろうと思っています。

ラボラトリーってのは何かって?
それは実験室、研究室のこと。

創造的な仕事をするにはラボ構想は欠かせない。
最高にカッコいいと思うネグロポンテ所長にあやかります。↓
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/
culture/story/20031007208.html


僕は新設大学に通っていたので、研究らしい研究に触れたことがない。
それが逆に行動力を生むきっかけとなったのかも知れない。

去年は冷蔵庫をサーバーにするということが見事に失敗に終わりました。
ハンダゴテが部屋に転がっています。(TT)

ネグロポンテ所長が言うように
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2001/11/13/06.html

メディアはやはりソフトベースで行われるが
今後のパッケージ・メディアはほとんど終焉を迎えるらしい。
最近も僕はジャストシステム訴訟事件で驚いていたところです。

まぁ、そんなことはどうでもいいのですね。

ラボは近日公開します。
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TITLE : 神奈川新聞社がブログを開始「カナロコ」

http://www.kanaloco.jp/

ブログ活用し、情報発信 神奈川新聞社がHP一新
 神奈川新聞社(横浜市)は1日から、閲覧者との双方向のコミュニケーションが可能な「ウェブログ」(ブログ)を導入し、同社のホームページ(HP)を衣替えした。試行期間を経て閲覧者が自社の記事にコメントを書き込むことができるようにする。ほかに、みなとみらい線沿線の口コミ情報を掲載できるブログや、横浜ベイスターズのファンを対象にしたブログも新たに開設した。ブログは市民が簡単に情報を発信できる仕組みとして広まった。同社は「読者の生の声が届きやすくなり、議論や交流が進むことになれば」と期待している。


横浜市の神奈川新聞がブログを開始した。

文章を書く者として、
市民にいかなる倫理性があるかを問われている気がする。

明日、神奈川新聞、買ってみよう。
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TITLE : コミュニケーション能力の退化から克服するには

コミュニケーション能力、と盛んに言うけれど
私たちはパソコンやケータイを使うことで
コミュニケーション能力が退化していると思う。

確かに「いつでもどこでも」という
ユビキタスコンピューティングは非常に便利である。
高齢者や子供などコミュニケーション能力に支障がきたした場合に
高いレベルでサポートしてくれる。

例えば、コミュニケーション能力が高いということは
「プレゼンテーション能力」に置き換えて考えられることが多い。

今の日本の大学でも
以前は教養を高めるトレーニングをしていたことに対して
コミュニケーション能力を高める教育にシフトしている。

その中でもトンチンカンなことを話す学生は
「あいつってコミュニケーション能力ないよね」と揶揄される。

歴史的に考えると滑稽な状況だ。
時間もお金の資源なんだから、より短い時間で
質の高い成果を出せるように教育されているわけだ。

特に、インターネット、コンピューターに精通しているほうが
一般的にコミュニケーション能力が「高い」と言われる。

いや、果たしてそうなのだろうか。
逆説的に考えて、コミュニケーション能力は退化しているだろう。
ある情報のカット&ペーストの羅列。ケータイで撮った写真の添付。
そんなブログが横行している。

では、それはなぜか。
情報メディアの発達によって
自分の頭で考えることができなくなっているからだ。
僕もその中の一人である。

ある友人と議論したときに
「どうしてそう思うの?」と聞いたら
「だってテレビで言っていましたから」と。

まとまるとコミュニケーション能力の退化の本質は
情報技術の発達により思考力が低下している。
また、コミュニケーション能力が低い人間が大衆であるため
社会の中でもコミュニケーションのレベルが低下しても
問題意識を持つことができていない。

コミュニケーションの本質は
「知識のジャスト・イン・タイム」であると思う。

ジャスト・イン・タイムとは部品の在庫を持たずに,
指定時間に合わせて部品を納入させる方式ことである。

その知識をそのシチュエーション合った形で応用できてこそ
コミュニケーション能力が高いと思う。


↑のガッツ石松はテレビでも
シチュエーションに合わない発言をすることで人気を取っている。
言うなら人はコミュニケーション能力の低いガッツ石松を見ることで
安心感を得れるのであろうか。人の心は複雑である。

逆説的に、浅田彰のような知識人がゴールデン番組に出ようものなら
「調子に乗ってる」と揶揄される。残念ながらこれが世間だ。


よく東京大学に関する議論で
読書をしない人間はサルである、という発言がある。
これ自身を否定するつもりはない。

しかし、自分が知識のないサルだと気づいたときに。
僕は読書によってしか、コミュニケーション能力を得られなかった。
文章を書くことによってしか、思考力を得られなかった。
それだけのことなのである。
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TITLE : ブログ飽きちゃった症候群について

そういえば昔、ブログ燃え尽き症候群というのがあるという
How Wiredの記事があったのを思い出した。


ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」

こちら、九州は大体2〜3か月ブームが遅いので
そろそろブログ燃え尽き症候群の波が来たようだ。

ただ首都圏の場合、読者がつきすぎて閉鎖という場合が多いらしいが
反面、読者がつかなく、
書き甲斐がないので閉鎖ということが多いような気がする。

まぁ、飽きちゃったなら仕方ない。

僕もいつか飽きるのかなぁ。
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TITLE : メディア・カルチュラル・スタディーズ

ある後輩からの質問があった。

「何で本なんて読む必要があるんですか?」

あえて、言うなら読む必要があるのではなく、
必要だから読んでいるのだ。
だから、本を読むことに問いを立てることは、
ある意味、フレッシュな質問だった。

たぶん一番、分かりやすい言葉で言うならば
「大人の人と会話ができないから」というのが無難な回答だ。

大人の人と会話ができなく、
自分のボキャブラリーの貧困さ、論理の展開に
学習の必要性を感じたから、本を読み続けているのだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、今日の気づきであるが
今まで、不思議に思っていたことがある。

それはパソコンを駆使できる人とできない人の違いである。
特に、僕が住んでいる九州では
1,車は持っているのに、パソコンを持っていない人
2,パソコンは持っているのに、車は持っていない人
3,両方持っている人
4,両方持っていない人 が学生の層に分類できる。

では、なぜ、車とパソコンを分類したのかというと
ちょっとやそっとじゃ買えない高い商品だからである。

僕はちなみに2.である。

九州は車社会であり、
買い物に行くにも、遊びに行くにも車に乗らないと行けない。

しかし、横浜出身の僕は「車=富、権力」の象徴であった。
車とは、お金持ちの学生や社会人が乗るものであって
差し迫って必要に駆られたことがない。
だから、九州で18歳ぐらいの女の子が
大きな車を乗り回していたりすると
どうも違和感を感じてしまうのである。

反面、僕にとって必要不可欠なのはパソコンであった。
パソコン、ケイタイがないと正直、生きていけない。
なぜかというと「情報」が滞るからである。
残念ながら、
僕は現代社会の薄れたコミュニケーションの中で生きた人間だ。
結局、「誰かとつながっていたい症候群」なのであって
僕も現代を代表する日本の若者なわけである。

友人で携帯電話代を支払わず携帯を止める人は
無条件で「無責任な人間」だと思っていた。
アルバイト、家族、友人、社会人からの連絡を遮断することは
社会的に無責任ではないか、と。

余談だが、今日、携帯電話を持たない人に会った。
まるで、ガソリンを入れないで車に乗っているような感覚だ。

こりゃあ、もうカルチャーショックである。

情報文化を持つということは
他の文化へのカルチャーショックを増大させることになる。

ケータイ文化論と
コミュニケーションの変容
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TITLE : 震災情報を越えて

うぅ・・・寒い。でも、新潟はもっと寒いんだ。

新潟県中越地震が起こって、
数々の安否情報が気になる人も多々いるはず。
また、来年度より足を踏み入れる「北陸」という地だけあって
今回はかなり考えるところがあった。

まず、今回、確実に言えるのが

情報技術の脆弱性。

NTTの回線はパンクするし、情報はまさに「情」報であって
てんやわんやといった感じ。
NHKでやっていた「連絡下さい」というのも
テレビがまず現地で動いているのか、といったところが気になる。
だって、25万戸が停電だったんでしょう。

これが、メディアの限界。

NTTも災害対策掲示板を作ってるみたいだけど、
実際、停電ならすぐに携帯電話の充電も切れるでしょう。
しかも、今回の高齢者のショック死の事例もあるように
高齢者に携帯電話がどれだけ普及しているか。
まだまだ課題ありだ。

僕もすぐに何かできないかと、ボランティア情報を探したんだけれど
技術に乗って情報が送り届けられるんだから本当にどこにもない。
追々テレビで情報を見ながら
新潟県災害救援ボランティア本部にでも電話掛けてみるしかない。

ボランティアって言っても、
募金を集めてお金を送っても、物資を送っても、

何が足りないか

という情報がないのであるから意味がない。

阪神淡路大震災の時に、
「靴下が不足している」という情報に対して
何千足もの靴下が全国から送られてきたという。
しかし、実際に必要だったのは、数百個だった。

つまり、何が何個足りないかという情報に対して、
「どこから何個送るか」という
都市の調整機能も各行政が持たないといけない。

今回の件でも、いわゆる「情報ボランティア」において

誰がいかなる情報を欲しているか

を適宜に知ることができれば、混乱は防げたかも知れない。

まさに

「役に立つ情報」


「役に立たない情報」が二分した。

なぜか?


命がかかっているからである。

その情報を聞くことで
「生きてて良かった」と涙ぐむほど情報が重宝される。

だから、

無責任な情報は
絶対に流すべきではない。



無責任な
情報は絶対に流すな!


今回ばかりは無責任な情報の錯誤に嫌気が指した。
私的なことなので内容は伏せるが、今回の事件でほとんど寝れなかった。
でも、新潟の人はもっと大変だ。そんなことは言っていられない。

この場を代えさせて言わせてもらうが、
いくら情報技術が発展しても、人間自身が発達したわけではない。

これを期に、真実の情報を見破る眼力を身につけるべきだ。

さっきの靴下を送った例で言うなら
テレビで「靴下が足りない」と報じていたから
靴下を送った。これでボランティアをしたぞ。なんて思ってる人は
本質的に何の解決にもなっていない。

たぶん、これから掲示板等を通じて、
多くの発言から災害情報が飛び交うと思う。

真の情報は現場にある。


今回で言うなら、真実は長岡市しかないわけだ。

その中から、最も被災地の人にとって有益なことを
自ら意思決定し支援することがどれだけ価値のあることか。

必要な情報がどこにあるのか、を発し手が理解しなければならない。

今、現在、情報ボランティアという分野の団体が各地で急増している。
特に災害情報を扱っている。

どこで誰がいかなる情報を欲しがっていて
正しい情報をいかに早く正確に流せるか。

最終的にはそれを届けられるのは人間のみだ。
各地の情報ボランティア団体が機能し、
よりよい信頼社会ができることを切に願う。

「つながり」の大研究―電子ネットワーカーたちの阪神淡路大震災
「つながり」の大研究―電子ネットワーカーたちの阪神淡路大震災
金子 郁容, VCOM編集チーム
ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ
ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ
金子 郁容
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TITLE : コンテンツを生かせないということ

コンテンツを生かせない人がたくさんいる。

大学においても、
図書館、コンピューター、学生、教授という
コンテンツがあるにも関わらず、それを使いこなせない場合が多い。

実際、僕もそうだった。

最近、4回生になってコンテンツの扱い方がわかってきて
もう少し早くコンテンツの作法を知ればよかった・・・と痛感する。

「仏作って魂入れず」
この言葉が胸に突き刺さる。

友人が言っていた話で、初めて引っ越してきた家では
「ハウスウォーミングパーティ」と言って家を暖めるパーティをするらしい。
これは別に温度的に暖めるのではなく雰囲気になじむためらしい。

同じように、大学やらのコンテンツを使う際にも
自分自身の知識の容量を入れる知識のエンジンを暖めなければ
なかなか継続的にコンテンツは入ってくるようにはならない。

僕はThink!という雑誌を定期購読しているのだけど今期で3年目になる。
この雑誌もこのブログにかなり影響を与えていて、
どうやって思考するか、発信するかみたいな内容について
かなりの高い質で情報を提供している。
季刊「Think!」No.1
季刊「Think!」No.1
齋藤 嘉則, 本田 桂子, 須藤 実和, 照屋 華子, 岡田 恵子, 杉田 浩章, 山本 直人, 水留 浩一, クレイトン・M・クリステンセン, バーバラ・ミント

大学4年間のうち、3年間もこの雑誌を読み続けられたことは
かなりの幸運であったと思う。

やっとコンテンツを生かせるようになってきた最近、
まさに「石の上にも3年」と月並みであるが納得してしまったのである。
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TITLE : 勝手に"Eyeball"ブーム

http://www.eyeballchat.com/

かなり原始的だとは分かっているが
最近、ビデオチャットにはまってます。

1000円のカメラでもしっかりできることに驚き。

まだまだ発展途上のインターネットに可能性を感じます。
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TITLE : 連載第三回 メディアラボという「場」が持つ魔力

さて、メディアラボに関わらず
何事にも「場」というものは土着(その地に根付いた)魔力を持っている。

よくトップの進学校などでも「腐っても鯛」という言葉が普及していて
その学年で最下位でも全国では結構上位の成績だったりすることがある。

その「場」では文化的な遺伝子があると言われていて、
そもそも同じレベルの授業を受けていて
成績が天国と地獄ほど変わるはずがない。

マラソンでも
上位層に合わせて走っていれば自然とタイムは上がり、
逆に下位層に入っていると、どうあがいてもタイムは下がる。

前回の「トキワ荘」というのは
当時のマンガ家の集団としては、
「トップ集団中のトップ集団」だったわけだ。
だから、トキワ荘の中でマンガを書いていたのならば
必ず能力は遺伝するわけで、「腐ってもトキワ荘」なのである。

実際、トキワ荘にいた人間はほぼ全員有名になっている。
(多少、例外もいるかもしれないが・・・。)

特に、メディア・ラボ(研究所)と呼ばれるところから
輩出される人材は「文化の遺伝子」を持っている。
僕個人としては「留学」をどんどんするべきだ、と思っている。
なぜかというと、ある「場」に「留まって」「学ぶ」ことは
自分の価値観を広げ、多くの「文化の遺伝子」を受け継げる。

だから「人が群れる場」を作れる人は尊敬に値する。

ベンチャービジネスのベンチャーラボラトリもそれに当たり
基本的にそういう場所に「たむろ」するのは好きだ。

ラボにおいては人が究極のソフトウェアになる。

ソフトウェアとは、ラボというハードウェアに対して、
人が作るモノのための知識、技能のことを指す。

ラボに集まる人間のソフトウェアは
最高スペックの教育力を持つと思う。

その環境にいること、そのものが教育になるのだから。

次回は「ラボにおいての教育としてのソフトウェア」について

つづく・・・。
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TITLE : 連載第二回 高い問題意識は「文化」を作る

余談ですが「13歳のハローワーク」等で
有名な「幻冬舎」が企業のPRのための出版を行うらしい。
その事業の一環としてIR向けの雑誌を刊行する。
IRとは株主との関係のことで
企業で何が作られたとか企業の財務状況とはこうだ、ということを
マンガやわかりやすい表現を駆使するらしい。

これはビジネスチャンスとしては面白い。
例えば、キーエンス等の高収益ファブレス企業は
普通、就職活動をしている学生にでもならないと
お茶の間には出てこない言葉だ。

知名度≠収益性 知名度≠良い企業 なのである。

企業の名前を知ってもらう広告ではなく
企業の本質を知り、意思決定の材料となる広告という視点は
斬新であると思う。

閑話休題

昨日は手塚治虫とトキワ荘の話で終わった。

手塚治虫は、マンガの世界の創造主であって
彼がマンガのエンターテイメントの基礎を作った。
手塚治虫は「生命」をテーマに
・ロボット(鉄腕アトム)
・ジェンダー(リボンの騎士)
・医療(ブラックジャック)
・歴史(火の鳥)
等に積極的に取り組み、現代のマンガの基礎組みを作っている。

特に「ロボット」という世界観は
「マトリックス」や「AI」という映画にも影響を与えるくらい
壮大な世界観である。

そして、トキワ荘には
手塚治虫を慕って、赤塚不二夫・石ノ森章太郎・
つのだじろう・藤子F不二雄・藤子A不二雄等などの
日本の主力の漫画家たちが集ったという。

さて、何が言いたいかとのかというと
皆さんは手塚治虫以前のマンガ家をご存知であろうか。

手塚治虫は
マンガ、アニメのポップカルチャーを創造した神なのである。

当時、マンガ=不真面目なもの、と捉えられていた。
特に手塚の作品には戦時中の話がよく出るのであるが
戦時中にマンガを描いていることが
どれだけ先見性のあることか想像できるであろうか?


彼は当時、不真面目と捉えられた
マンガを芸術まで進化させた一貢献者なのである。

よくレオナルド・ダヴィンチが
今、生きてたらどんな作品を作るのだろうか?という話がある。

恐らく、全く異なった表現方法で作品を作ったに違いない。

いや、もしかして同じような作品を作ったかもしれない。

アーティストとは恐らく「ご時世」というものを超越して
歴史に残る作品を作れる人種なのだと思う。
↓日本広告機構はそういうことを奨励するCMも作っている。

http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=1922

だから、ご時世に合わせた優等生になるか、
歴史に残る作品を作りたいかはたぶん全く違った次元の話である。

というわけで、次回はトキワ荘という「メディア・ラボの話」

つづく・・・




posted by Kohei Ishikawa  [ メディア論 ]  comments(0) trackbacks(55)