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TITLE : なぜ、言葉遊びに陥るのか。

今日のテーマは
「なぜ、言葉遊びに陥るのか」である。

こんな言葉を聞いたことがないだろうか。

競争社会を促すのではなく「協調」社会にするべきだ。

いじめの本質は「いじり」にある。

ゆとり教育は「ゆるみ」教育だ。  

といった例である。

これらは言葉を巧みに利用することで、
何かわかったつもりにさせているが、実は中身がない。

そもそも、その言葉を発し、問題の本質を特定したところで、
あまり議論に進展がないことも容易に理解できると思う。

また、議論の中身を理解しないまま、言葉を失い、
「まぁ、備えあれば憂いなしって言うしな」
「来年のことを言うと、鬼が笑うって言うじゃないですか」等と
故事成語やことわざを用いることで、その場を乗り切ってしまう人もいる。

これらは
全て、冷静かつ客観的でハードな議論を回避するための「逃げ」の手段に過ぎない。
特に、冷静かつハードな議論においては
「タフ」な論理武装を行わなければならないのに
丸腰で議論に入ってくる人が多すぎるように感じる。

議論に負ければ、また自分の論理的な不備がわかって、大儲けであるわけだし、
議論に勝てば、自らの議論の経験として、それらは功績となるだろう。

一方でよく日本人は議論を避け、物事をあいまいにする傾向があると言われている。

ぶしつけに日本人論を掲げるつもりはないが、
日本人が議論が苦手な要素の一つに
「科学的で客観性を持つ議論を行うトレーニングを受けていない」
という点が挙げられる。

日本の初等教育段階において、
相手との議論の作法を教わった者はまずいないであろう。

相手との議論の作法を学んだ者が、全て自己流での作法で
コミュニケーションを取ることが、言葉遊びに陥ってしまう原因である。

言葉遊びをすることで、異なる流派の議論の作法を学んだ者が、
一つの論旨を組める、というのは良い点であるといえる。
しかしながら、そこで議論が終わってしまうのは、最大の欠点であるといえよう。

そこで、言葉遊びに陥らないための方法としては、
議論する相手と議論の作法を共有することが最も有効な解決策であると考える。

大袈裟ではあるが、議論の作法を共有していない人とは
議論はできないと言っても過言ではない。

そして、断定的な発言をする人、
言葉遊びで言いくるめる人に限って、
客観的かつ論理的な思考ができない。

私の経験では
「常識だ」「普通は」という言葉を繰り返す人、
また、すぐに黙り込んでしまう人は、
必ずと言っていいほど、議論する能力が弱い。

私はそういう状態に危機感を覚える。
なぜなら、自分の考えを研ぎ澄ます可能性を削いでしまっているからだ。
議論に対する技術がないため、言葉を短く、短絡的にすることで
議論する経験を避けるという「逃げ」の手段を覚えていると言うことになる。

英語で言うなら I can't speak English と話す日本人と同じだ。
そんな言葉覚えるくらいなら、話すための単語を一つでも覚えるべきだ。

こう言った心理から「言葉遊び」は生まれる。

この危機感を読者の方にも共有していただければ幸いである。
posted by Kohei Ishikawa  [ 教育学 ]  - -

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